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ジュンさんの家で猫に会って、猫悪くないなと思いました。

伊藤です。

こないだNHKかなんかの番組で、携帯電話のメールによる言葉のやりとりについて是非を問うような光景を目にしました。 
 「それじゃあ気持ちが伝わらない」「いつでもどこでも誰かとやり取りができて便利」「メールじゃあ失礼になるときがある」
 メールってどうなんでしょう?


 常日頃、何かあった時に僕らは言葉を使ってその情景であるとかそれに至る事情を誰かに伝えるものですが、それは言葉が何より簡潔に情報を伝えるのに優れているからなのでしょう。何もなければ誰も口が利けるのにわざわざジェスチャーやアイコンタクトのみでやり取りをする人はいないでしょうから。まぁメールも文章ですが、言葉ですよね。

 じゃあ言葉は便利なものですかね。だけどなんか便利なようで、実は不便なもんじゃないかなとも思えたりする。

 例えば僕が「おいしい」と言ったときに、それを聞いた人は「へぇ、おいしいんだ」 と思うんですが。「おいしい」って「おいしい」でしかないんです。
 おいしいごはんを食べて、その瞬間にその人のなかに浮かぶものって「おいしい」という文字ではないと思うんです。もっと感覚的に、色なのか形なのか、何なのかはわかりませんが、もともとは説明のしようがないもので、もしかしたら説明もできなくはないけど全部説明するとむちゃくちゃ時間がかかっちゃうようなもの。
 
 で、いつかどこかで誰かが、「こういうのを<おいしい>っていうことにしようよ」と決めたものだから、みんな「おいしい」って言うようになったんです。

 でもその時初めてそれを聞いた人の中には、「いや違う、この感じは<おいしい>じゃ変だ。もっと違うでしょ」と思った人もきっといたはずです。それが、時間がたつにつれて皆当たり前のように使っていると、だんだんそれは当たり前に「おいしい」になったんです。「おいしい」という言葉が生まれてどれくらい経つのかは知りませんが、とりあえず僕は「おいしい」という言葉に何ら違和感を感じることなくそれを口にしています。



 今携帯電話のメールがなどと言っていても、何十年何百年とやってくと、そのうち誰も是非を問うたりはしなくなるでしょう。

 ずっと昔から、今まで僕らの周りにあるもの全部がそうやって暮らしに浸透してきたわけで、極端に言えば今テレビで「おいしいって、おいしいじゃ伝わらねえだろ!」と言葉の是非を問うたりはしないはずですから。




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それぞれさまざま色々
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りゅうし(Guitar.)
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